『 匠の世界 』 陶 芸

六古窯に成熟し、桃山に花開き、江戸に爛熟し、明治に工夫を極めた日本の陶磁器

素朴な瓦や民間窯から贅をつくした色絵磁器、優れた作家まで、土と手の技を記録する。

日本の代表的な芸術のひとつに「焼き物」があります。美術館で古典的な陶磁器を鑑賞し、有名な窯元の町を訪れ、陶芸活動に参加し、レストランで食器を楽しむことができます。

日本で最初の土器が発見されたのは、今から約1万年前、狩猟採集民が大半を占めていた縄文時代(紀元前1万3千年~紀元前300年)である。縄文」とは、当時の土器によく見られる文様を意味し、素焼きのまま巨大な火で焼き上げたものであった。古墳時代(西暦300年~西暦538年)までは、焼成方法がさらに洗練され、蓋窯が使用されることはなかった。

日本の陶磁器は、炻器(せっき)と土器(どっき)が主な素材である。炻器は高温で焼成され、無孔質で、釉薬をかける必要のない防水性の高い容器が作られた。土器は低温で焼成されるが、素焼きのままでは多孔質である。

磁器の原料であるカオリンは、日本では1600年代前半に有田町付近で発見された。磁器は、それまでの陶磁器よりも丈夫で耐久性があり、しかも薄い容器を作ることができるようになった。

琉球陶器 赤い土と炎の里

グスク時代に中国から伝わったとき、初めて琉球陶器が登場した

1682年に知花、湧田、宝口の3窯が琉球王府下に統合されると、壷屋が生産の中心地となった。壷屋焼は無釉の荒焼と釉薬の掛かった上焼に分けられる。

太平洋戦争が終わると、煙が出るため、ほとんどの窯が壷屋を離れなければならなかった。生産地は雲丹村や宇治見村に移り、やちむんの伝統を受け継いでいる。
琉球陶器は、皿や壺、瓦のほか、骨壺やシーサー(家財を守るために屋根や門に置かれる獅子のような守護神)などが有名である。

琉球陶器の第一人者金城次郎(重要無形文化財/各個認定保持者)は、沖縄陶土の特徴を生かし白土の象嵌技術を継承する。

小鹿田焼 みだりに昔をくずさぬように

小鹿田焼の黒木利保(記録作成等の措置を講ずべき無形文化財)は、日田の皿山で開窯以来三百年変わらぬ陶技が伝えられる。飛鉋(とびかんな)、刷毛目の加色が美しい。

色鍋島 色絵磁器のシンフォニー

色鍋島の今泉今右衛門(重要無形文化財/各個認定保持者)のもとに、細工、上絵、水拭い、窯焚き、施釉などの工程が組織的管理され生産されている。

藍色で描かれた繊細な文様に、赤や黄、緑などの文様を上絵付けした鍋島焼は、優雅で繊細な色彩が特徴である。

柿右衛門濁手 白い磁肌に挑む

柿右衛門濁手は、十四代酒井田柿右衛門の正統的な技術により、白い磁肌が継承される。

色絵磁器 鳥に託す色絵の夢

色絵とは、高温で焼成した陶磁器の表面に多色エナメルで絵付けをする磁器の装飾方法である。絵付けをした陶磁器に上絵具を施し、専用の窯で再び焼成する。


江戸時代、色絵磁器は日本に伝わり、茶器や日用品を飾る様式として上流階級で高く評価された。天智天皇の時代(明朝)には、中国江西省の景徳鎮から輸入された色絵もあれば、福建省の漳州から輸入された「スワトウ焼き」と呼ばれるものもある。


1920年代後半に民芸運動の創始者である哲学者・柳宗悦(1889-1961)が設立した日本民芸館は、スワトウ焼、九州肥前の伊万里焼、陶芸家の濱田庄司(1894-1978)の色絵などを収蔵しており、その中から数点を選びました。